嫁聴け(1998-2016)

音を触媒にした連鎖と波形を、言葉を道具に焼いたもの

ロビンソン / スピッツ (1995)

1分にも満たない診療。言葉を選ぶことなく、素直に自分を告げる土曜日。ほどなく名前を呼ばれ、いつもの薬を受け取りいつも通りの会計を済ませる。レセプトと袋。カバンに放り込みペダルを踏む。

快晴。降りそそぐ並木の葉擦れはすっかりと乾き、車輪に踏まれゆく落ち葉は間断なく細かな音を刻む。道と時間とが続いてゆく週末はまだ半分にも満たず、車の流れに後押しされるように向かう。どこかへ。

しばらく走る動脈幹線。やがて外れ、刈り取りを終えてのわずかな緑を取り戻した田の中へ。高純度な空の下、青を切る線もない。どこまでも自分が中央線上にある農道にて足を休める。

空を泳ぐ小さな点。そこに流れているだろう風をさばき、円を描いている。途中で仕入れた缶コーヒーを開け、豊かなループをしばし仰ぐ地上世界の住人。ハンドルに腕を預け、道の終わる先のさらにその先で空 (くう)を読む優雅な姿に見とれる。頭の中には何もなく、ただそれを見上げているだけ。時折、喉を潤すコーヒー味の安い水。

世界へと視線を戻すその瞬間。円に飽きた主は海に向かい、迷いのない直線を引いていく。遙か遙か。この自転車でもすぐにたどり着けるだろうわずかな遙か。さらに小さな点になろうとするそれを見届ける勇気はなく、早く行ってくれと再び目を背ける。 3 秒。願いは届き、点は消えた。飲み干したはずのそれをもう一度唇に当て、大きく首を開ける。背後に浮かぶ雲をも惜しむように、またそれが現れてくれることをどこかに望みながら、上へ上へ、視界一面を空で塗りつぶすように上へ。