「地図はなぁ、嘘つきなんだよ」
唐突に彼は言い放った。思うに、今の今まで黙っていたのは、ただ単にどうやって愚痴話を切り出そうかと、疲れているくせに話のネタを懸命に考えていただけに違いないんだが。
「嘘?」
とりあえず返事でもしておかないことには、彼の気も収まらなければ、機嫌だって直らない。
「そう、嘘。そうでもなけりゃ、なんでこんなことになってるんだ?」
「たしかに、それはそうだろうね」
返事にこめたせめてものやる気のなさは、残念ながら彼には伝わらなかったようだ。
「だって、ほら、後ろはあんな!」
さしずめこちらは観客というところか。彼の大げさなアクションに付き合わされる、時間つぶしのオーディエンス。足を止めた僕らの後方には、延々と登り続けた坂道があった。見飽きた挙げ句に、どの坂道との区別もつかなくなっている眺め、まず間違いなく降りることのない坂道が。
「道を正しく記す?そりゃそうさ。でもこんな坂まで書いてある地図があったか?」
彼の芝居は続く。等高線の是非を問うまでもなく、いや、アクター気取りの者に、観客が説明を入れるわけにもいかない。合いの手を求める芸なんて、芸以下だ。とりあえず喋らせておく。
「道は続く。見ろよ、まだまだあんなに先は長い。上だって見えない。ダラダラといつまでもいつまでも、どこまでも登って登って登って。たまには下らせろってんだよ」
ちょっと愚痴が混じったか。彼は続けた。
「時計はいいよな、時計は。ただ回ってればいいんだ。横に長い時計なんてないだろ」
「縦に長い時計だってないさ」
「そう。上に向かう時計もなければ、下に向かう時計もない。かならずどこかしらに戻ってくる、戻って行けるんだ!」
何を分かり切ったことを。戻りようがないから、時計にはなれなかったんじゃないか。あらためて自分を嘆くような奴ではなかったはずだが。
そうだ。こちらだってなれるものなら、時計に。
「嘘つきは振りだしに戻ることも許されないってことだよ」
嘘をつくことが生きることなら、嘘を断じて生きる者だっているはずがない。互いに言いたいことの根っこくらいは分かっている。掘り下げる必要もない。相棒の言葉を借りつつ話を促してやると、懐から再び、彼が言うところの嘘を取り出して嘆いた。
「それでも、このインチキな紙を使ってまた登ってくる奴がいるんだよ。なんて物好きな!」
「その地図を作ろうってのはその何倍、物好きなんだろうかね」
自問自答でもあった。そして珍しく彼はこちらの目を見て、それから手にした紙に目を落とす。どうやら言葉は出尽くしたようだ。頭よりも手が考えるようになった作業。また新しい線と記号を書き加え、返事もなくまた彼は登り始める。
「山に登るその理由は」
先に進んだ背中から声がした。
「そこに山があるから、か?」
「それは方便、嘘だな。山が好きだからだよ」