嫁聴け(1998-2016)

音を触媒にした連鎖と波形を、言葉を道具に焼いたもの

SICKS / THE YELLOW MONKEY (1997)

あなをかし。なんと奇怪なことよ。今宵の月はいつもの三日月とはどこか違って見えるようだ。長耳の姿はなく、鋭いその縁に立っているのは人ではないか?

ああ間違いない。あれは兎の皮をまとった二本足の人の形。彼の者は天空から我を見下ろすというか。笑止。我もそなたも同じ人形 (ひとがた) 。どこにいようと所詮は名を呼ばれることもなく、揺らり、操られる模造の民。思いを吹き込まれただけの、哀しいかな、なれるはずもない人の心を夢見るあわれな布切れ。これも我が姿。そしてそこに立つそなたの姿。

生き長らえるすべもない空 (うつ) ろの世に、何を夢見るという。たかが人の夢。見下ろしたところで、目に映るは儚き限られた時の営み。全てを知ることなく、見届けることなく、主人というべき者たちは地に戻ることを当然のこととしながら、それでも天空を見上げずにはいられないらしい。二本足の者はその足を地につけることしか脳がなく、またそれが性でもあるというのに。我が時を見つめることなく、あるはずもない、あるべくもない宙に、その身を委ねると申すか。

花は根ざして初めて花吹 (ふぶ) くもの。厳しき水の温む後に咲いてこそ愛でられるもの。立つべき足の裏にその尖 (とげ) を刺してまですなるものでもあるまい。我は地を吸うべくしてここに生まれた者。我を包 (くる) む気の営みに身を任す、人の名を持つ地の者。たとえ呼ぶ者なくとも、時が振り向かせることもあろう。ならば、それならば夢をこの土に還すがよい。そは見下ろすべきものには成れぬ。たかが瞬 (ひととき) の悪ふざけ。とがむる者もその目を伏せ、ありもしない月の供物を忘れる日があってもよかろう。知らずしてこの場に惹かれ、すべくしてこの地の屍と化す。繰り返すことのない営みならば、せめてその身を寄せ、二つの足で咲こうではないか。